第10回 「葬祭ディレクターになる」とは(その二) |【公式】ご葬儀のことは全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)へ

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2025.03.15
コラム

第10回 「葬祭ディレクターになる」とは(その二)

column

  前回、私はディレクター資格が持つ意義の一つに「消費者との差異化」を挙げました。言い換えれば、それは専門家としての価値を業界外に打ち出すということです。しかし専門家を標榜するには当然ながら個々人が専門的技能の向上に励む必要があるものの、何をもって一人前と見なし、何を会得すべきなのかという事柄は曖昧であり続けてきました。
  これに対して技能審査の制度が最大公約数的な「専門性」の基準を業界内に形作ったことは、見過ごせない業績と言えるでしょう。とは言え、問題がないわけではありません。資格さえ取得すれば事足れりと安易に考える受験者や企業も増えてきたからです。その点で、前回引き合いに出した「葬祭業の技能を試験で充分に判断することなどできるのか」という声は、ディレクター資格を単なる箔付けとしか考えていない者への批判としては、実は正鵠(せいこく)を射ているとも言えます。
  それは葬祭業に求められる能力がリテラシーというよりもスキルに比重を置くことからも明らかでしょう。これらは共に「技能」を指す用語であり、定義も多様ですが、前者がどちらかと言えば昔の「読み書きそろばん」のような「情報や知識を使いこなす能力」であるのに対し、後者は実践的な問題解決の道筋や、期待される効用を生み出すための「価値付けられた能力」を意味するという違いがあります。つまり葬祭業の中核とは即応的な判断や創造性をどこまで駆使できるかという次元に存在するのであって、それを試験形式で問うた時に限界が生じるのは明白です。
  だからこそ、試験が問うているのはあくまで「消費者の信頼を得るためのスタートラインに立っているか」という最低限の資質であり、その後のキャリアで高度に熟練していくための入口を示じているに過ぎません。そう考えれば「ディレクターになる」とは、そこで向上が終わるのではなく、まさにそこから向上が始まることなのだと言えるでしょう。

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