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第11回 「にんげん」と「じんかん」

今の私たちは人間を「にんげん」と読みますが、明治の初めまでは「じんかん」と発音するほうが一般的であったそうです。言われてみれば、確かに「人間万事塞翁が馬」や「人間至るところ青山あり」等の故事成語のように、古くからの言い回しには昔ならの「じんかん」という読みかたを当てるべきだという意見も根強く存在します。しかし、それは単に古式ゆかしい発音を好むということではありません。そもそも「にんげん」と「じんかん」では意味が少し異なるのです。
現代では、それぞれ独立した一個人といった趣旨で「にんげん」の語を使うのに対し、「じんかん」は文字通り人と人とのあいだ、つまり「世間」や「世の中」を表す言葉でした。そしてまた、このような「じんかん」から「にんげん」へという言葉の変遷は、個人の自立や主体性を重んじる近代西欧の人間観が日本に導入されてきた過程とも決して無縁ではないでしょう。
一方、その裏では人と人とのあいだを結ぶつながりによって自分が生きかされているという意識が衰退し、言うなれば「じんかん」より「にんげん」に価値を置くようになってきたのも実情です。とは言え、その行き着く先がもしも「葬式は、要らない」といった語り口に代表されるような、人間の生死をも自立や自己決定の理論に帰着させてしまう風潮ならば、それはむしろ老いて死ぬことの孤独と不安を増大させるだけであり、安らかな人生の終着点を提供するものとは思えません。
その点を考えれば、超高齢社会に突入した現代の日本社会に必要なのは、人間という存在が「にんげん」と「じんかん」の双方のバランスの上に成り立っていることを再認識することだと言えます。とりわけ、昨年の大震災を経でさまざまな絆の大切さが見直しされている今、私たち葬祭業者もあらためて「人間的」なサービスのありかたを省みることが求められているのではないでしょうか。