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2025.03.15
コラム

第12回 顔のみえる葬儀社

column

  「やっばり、何を考えているか分からない人に大事なことを任せられませんから・・・・・・」
  政治談議にありがちな語り口ですが、実はそうではありません。最近、葬儀直後の遺族と会話を交わすたびに「広告などを見て検討はしたものの契約に至らなかった葬儀社には、いったい何か欠けていたのですか」という質問をするのですが、まるで示し合わせたかのように同じ答えが返ってくることに驚きます。その答えが、冒頭の言葉というわけです。
  私自身は、一昔前と比べれば葬祭業の広告宣伝は格段に洗練されてきたと感じています。そして私が出会った遺族の方々に残念ながら選ばれなかった葬儀社の広告も、パンフレット・新聞広告・ホームページなど種類はさまざまですが、おしなべて清潔感と明朗さに満ちたものでした。ただし、それらの全てに共通していたことがあります。会社としての価値観を伝える「生の声」がどこにも見当たらないのです。言葉を変えれば、それは「顔が見えない」とも表現できるでしょうか。
  高尚な精神論だけで広告が塗り潰されてしまうのも考えものですが、さりとて背後に精神性が全く見えない葬儀社に人生の終着点を委ねようとは、現代の消費者はなかなか思わないのも事実。たとえばパンフレットで社長自らが死生観を語ったり、従業員が日々の仕事に馳せる思いをブログに綴ったりするといった僅かな違いだけでも、消費者の共感につながる可能性は広がるはずです。
  読者のなかには、恐らく「我々はあくまで黒子なのだから」という理由で、そのような広告戦略に反発を頂く方も多いことでしょう。もちろん裏方としての意識を常に忘れないことは、葬儀業者としての適切な態度です。とは言え、やはり自らの会社を選んでもらってこそ黒子も力を発揮できるというもの。そう考えれば、積極的に自らの考えを発信することで「顔の見える黒子」へと脱皮を図ることにも、それなりの意義があるはずです。

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