第20回 遺言あれこれ |【公式】ご葬儀のことは全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)へ

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2025.03.15
コラム

第20回 遺言あれこれ

column

  最近、遺言を書きたいという人と多く出会うようになりました。
「人生の最期を考える段階にきたので」、「どのようなものか試しに書いてみたくて」、あるいは「配偶者から強く求められて」など、その動機はさまざまですが、背景にはやはり社会的な意識変化、そして高齢化にともなう家族のありようの変化といった要素もあるでしょう。
  経産省による「ライフエンディング・ステージ」の取り組みにもみられるように、現代社会では「死ぬこと」も人生設計の一部に組み込まれるようになってきました。その点を踏まえると、遺言を書きたいという人びとが今になって増加したのではなく、もともと存在していた需要が顕在化したとも言えます。
  さりとて読者の皆さんがご存知のように、一口に遺言といっても多種多様です。まず思いつくのは民法上の規定に基づいた意思表示としての遺言(いごん)ですが、法的な効力ということを特に考えないのであれば、いわゆるエンディング・ノートなども当てはまります。さらに範囲を広げれば、生前契約・生前予約の事業にも当然重なってくるはずです。
  そのような昨今の新しい傾向の裏側には、自らの人生を言葉として意味づけしたいという、極めて現代的な欲求の存在を察することができます。もしくは、死んで何も残らないのは嫌だという、人間だけが持つ不安を体現しているとも言えるでしょうか。そうだとすると、戦前に新聞漫画というジャンルを開拓したことで(または芸術家・岡本太郎の父として)有名な岡本一平の次の言葉も、単なる諷刺以上の意味を持ってくるのかもしれません。
  「牛や魚は死ぬ時遺言しない。鳥や松の木も死ぬ時遺言しない。遺言するのは人間だけである。死ぬ時自分以外に他あるを顧みて其処に何か責任上の一言を残して置く。これ人間が万物の霊長たる由縁であらう。」

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