第29回 言挙げ |【公式】ご葬儀のことは全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)へ

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2025.03.16
コラム

第29回 言挙げ

column

  今年はわが国を代表する神社である伊勢神宮と出雲大社が、ともに遷宮を迎える年。遷宮、つまり新しい社殿へと神さまに遷っていただくのは、伊勢神宮では二十年に一度、出雲大社ではおおよそ六十年に一度のことですから、その双方が重なるとあって大きな注目を集めています。そしてまた、大小さまざまな神事を数年間という長い時間をかけておこなうというのも、スケールの壮大さをあらわしていると言えるでしょう。
  さて神事と聞くと、私などは「神事は言挙げせず」という文句や、あるいは万葉集におさめられた柿本人麻呂の「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」という歌を思い出します。この「言挙げ」とは、言うなれば「ことさらに言葉に出して意味や解釈をいろいろと主張すること」ですが、もちろん昔の人びとにも、自らの行為を裏付ける意味や論理を明確に打ち出さなければならない局面は多々あったはず。しかし、とりわけ儀式や作法といったものについては、言挙げを避けるということが美的観念のひとつとして受けとめられてきたのも事実です。
  一方、そのような「特に意味を追求せず、あるがままの自然に委ねる」という感覚や、ほどよい曖昧さを残すということは、現代社会では何事につけ否定的な印象でとらえられているとも言えます。それは今日の葬儀も同様で、ひとつひとつの所作やサービスに、どれだけの意味やメッセージを込められるかということに腐心されている方も多いのではないでしょうか。
  顧客がそれぞれに持つ「葬儀の意味」をしっかりと汲み取ることは私たち葬祭業に携わる者の根幹ではありますが、逆にそれが押しつけがましくなることも考えもの。そのバランスの取りかたは何とも難しいものとは言え、時には「無理に『言挙げ』しなくてもいいですよ」と天衣無縫にさらりと亡き人を送るのも、あってよいことなのかもしれません。

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