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第48回 自己責任を考える(その一)

この号が読者の手に届いているときは、事態はどのように変わっているでしょうか。いわゆる「イスラム国人質事件」の話です。湯川遥菜さん、そして後藤健二さんの二人が中東で過激派組織に拘束され、本稿を書いている時点では残念ながら湯川さんが殺害された可能性が濃厚となっています。心から無事を祈るばかりです。
さて、この事件をめぐる議論がさまざまに交わされるなかで、自己責任という考えかたが焦点のひとつとなりました。危険であることが明らかな地域に自ら乗り込んでいったのだから、それは自業自得であり、彼ら自身の責任ではないか。なぜ日本政府が巨額の身代金を支払う必要があるのか。それらの主張にも、一理あると言えるでしょう。
その一方で、残虐な仕打ちを行ったのは別に彼らではないのだから、自己責任で片づけてしまうのはおかしいという声もあります。たとえば「もし全てを自己責任で考えるとなると、地震大国である日本に『自ら好んで』住んでいて、震災で命を失った人びとも『自己責任』になるのだろうか」という指摘なども目にしました。これもまた、あながち詭弁とは言えない観点だと言えるでしょう。
考えてみれば現代の葬儀にも、この自己責任の思想が緩やかに、しかし着実に浸透しています。あくまで印象論とはなりますが、その傾向はバブル経済の破綻以降、とくに九〇年代後半から顕著になっている感が否めません。「わたしらしい葬儀」といったフレーズが出始めたのも、おそらくはその時期ではなかったでしょうか。
もっとも、「わたしらしさ」を追い求めることと、「自分のことは自分で」という考えは、似て非なるものです。しかし、いつの時からか葬儀のスタイルも後者に力点が置かれるようになり、それが現在の家族葬・直葬・終活といった風潮にも連なっていると言えます。【次号に続く】