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第49回 自己責任を考える(その二)

前号に引き続き、自己責任をめぐる話題を。
私の友人に、児童養護施設や里親家庭で生活している児童の自立を支援する事業を手がけている者がいます。親からの虐待や、あるいは経済的な困難などのさまざまな理由で、社会的養護の対象となっている児童は全国に約三万人。しかし十八歳になれば、その多くは施設や里親のもとを離れて暮らしていかなければならないのです。
また、彼らが巣立つとき、実は金銭的な援助はほとんど見込めないのだとか。まさに徒手空拳の状態です。当然、それまでの生活が大きく変化することによって、社会のなかで孤立してしまうこともあるでしょう。その困難は、おそらく想像に余りあるものに違いありません。思わず、「その年齢で、ひとりで何でもこなして自立するのは大変だね」と嘆いてしまいました。ところが、友人の反応は私の予期していた言葉とは少し異なるものだったのです。
「いや、そうじゃないんだ。『自立する』というのは『ひとりで何でもできる』というのとは、ちょっと違う。言うなれば、しっかりと『いろんな人に助けてもらえる』ようにする、ということかな。人間、誰しもひとりじゃ生きられない。『自立する』っていうのは、まずはそこから始まることだからね」 私は、彼の言葉になんとなく現代の葬儀を読み解いていく糸口があるように思えます。「自分のことは自分で」とは、周囲との関係を拒絶することなのだろうか。現実には「迷惑をかけたり、かけられたり」という関係のなかで人間は生きて、死んでいくのではないだろうか。もしもそうだとすると、今日の葬儀の端々に見られる「自己責任=迷惑をかけない」の思想と、私たち葬祭業者はどのように向き合うべきなのか――。
難しい問題です。しかし、現代社会が私たち葬祭業者に求めているのは、まさにその問題に対する答えであると、私は感じています。