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第51回 死と想像力

四月二十五日、ヒマラヤ山脈の麓にひろがるネパールを大地震が襲いました。正確な被害の実態は未だ明らかになっていませんが、ネパール国内の死者は現時点で七千人を超えると報道されており、さらに周辺各国にも無視できない数の犠牲者が生じています。すみやかな救助と支援を望むばかりです。
日本に住む大多数の人びとにとって、おそらくネパールという国のくわしい地理や歴史を問われれば返答に窮することでしょう。いささか語弊はありますが、「どこかの誰か」という感覚を持ったとしても無理からぬことです。しかし、それでも死者への哀悼の念や、遺された者への共感を私たちは持つことができます。日本が経験してきた数々の大震災と、今回のネパール地震の状況が重なってみえるという方もいるかもしれません。
死と死者について語るとき、よく「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」といった区別を用いることがあります。一人称とは「わたし」、二人称とは「あなた」、そして三人称とは先ほど述べた「どこかの誰か」のことです。知己ではあるが「あなた」と呼ぶほどの親密さはない。もしくは、何となく思い浮かべることはできるけれども、直接会ったこともなければ話したこともない。つまり三人称の死とは、そういう存在の死を指します。
だからこそ「どこかの誰か」の死は、それを受けとめる側の想像力の問題という見方も可能です。今回のネパール地震にしても、死者何千人という数字の背後には、ひとつずつ異なる膨大な人生と死にざまがあり、また遺族の悲しみがあるはず。そのことに対する想像力こそが、現代社会に最も求められているものではないでしょうか。「わたし」と「あなた」の死についてはあれこれ思案するが、「どこかの誰か」の死については無関心――そんな状況に社会が舵を切り始めてしまわないよう、時には大局的な見地で現代の死を見つめる姿勢を持ちたいものです。