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第54回 戦争と家族葬

以前、葬祭業界の長老格にあたる方にお話を聞いていた時のこと。「今はみんな、家族葬って言うけれど」――その後に続いた言葉は、私にとっては少し思いがけない言葉でした。「僕から言わせれば、それが当たり前っていう時代もあったんだ。もちろん、いくらかは場所によって違うだろうけれど。でも、たとえば都会の下町なんていうのはどこも似たりよったりだったね」
さて、どういうことでしょうか。私が「それはいつのことですか?」と問いかけると、それまで快活だった長老の口が、少し間を置いて重々しく開きました。「戦争中のことさ。そうしたかったかどうか、という問題じゃない」
男たちは戦地に駆り出され、あたり一面は焼け野原となり、遠くにいる親戚を呼ぶなどということも考えられない。誰もがその日を生きることに精いっぱいの時代です。困窮をきわめる暮らしのなかで、しめやかに身内だけで葬儀を出そうと思うのはむしろ自然なことかもしれません。あるいは遺骨になって帰ってきた者の変わり果てた姿を前にして、あえて「まだどこかで生きているかも」と近所には声をかけずに身内だけでひっそりと弔うという場合もあったでしょうか。何しろ戻ってきた骨壺におさめられていたのは、骨ではなく現地の石ころであったということも珍しくはなかったのですから。
そして現在。少なくとも戦火には巻き込まることのない日々が七十年近く続き、平和を謳歌する今の日本で家族葬の形式が広く浸透している状況に思いを馳せると、あの「そうしたかったかどうか、という問題じゃない」という言葉が私の脳裏に時折よみがえります。家族葬という形式が良いか悪いか、ということではありません。ただ、亡き人を弔うことさえもままならない時代に二度と戻ることがないよう、私たち葬祭業者も常に意識しなければならないと、そう思うのです。