第61回 風化と風花 |【公式】ご葬儀のことは全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)へ

map お知らせ

ニュースやイベント等のお知らせを
ご紹介させていただきます。

2019.06.16
(更新:2025.03.31)
コラム

第61回 風化と風花

column

  福島を訪れると、よく風花(かざはな)に出会います。陽光輝く晴れやかな天気で、あたかも空のなかで舞うかのように降ってくる淡い雪。それが風花です。そう言えば東日本大震災が起きた五年前も、まだ風花がちらつくような寒い季節でした。
  東北の冬は長くて辛いという印象がありますが、三月初旬と言えば米づくりの農家にとっては田植えの準備に精を出し、多くの学校はまさに卒業式の時期。つまり、もうすぐ訪れる春への期待に人びとが胸をふくらませている時に、あの筆舌に尽くしがたい大惨事が襲ったのです。原発事故も収束には程遠いと言わざるを得ない現状を考えると、そして五年という歳月を経ても未だ風花が舞うような「冬と春のあいだ」で宙づりのまま時間が止まってしまったかのような日々を送る方々のことを思うと、胸が痛みます。
  その一方で、震災の記憶は確実に風化しているようにも思われないでしょうか。単にマスコミの記事や報道が減ったということではありません。むしろ、それ自体は当然のことではあるでしょう。それよりも問題であるのは、震災直後にほとんど全ての人びとが抱いていたであろう危機感や、「私は今、何ができるのだろうか」という主体性のある思考すら、徐々に薄れかけているという状況です。あるいはそれらの動きと結びついて、震災を半ば「なかったこと」にでもしたいかのように、不自然な区切りを付けたいという政治的な思惑も最近では見え隠れしています。
  タンポポの綿毛のようにも見える小雪を手のひらで受けとめると、すぐに溶けてなくなってしまいます。あの震災の記憶が風花のように溶けてしまわないように、ぜひ三月一一日だけではなく日常生活のなかで折に触れて、「あの日、私は何を感じて、どうしなければいけないと考えたのだろうか」ということを少しずつ、ゆっくり振りかえってみてください。

お知らせTOPへ