第64回 現代の霊魂観 |【公式】ご葬儀のことは全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)へ

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2019.09.16
(更新:2025.03.31)
コラム

第64回 現代の霊魂観

column

  喪家が自らの檀那寺だけでなく、宗派もすこし覚束ない。よくある話です。それ以前に、お寺はそもそもお参りするもので、檀家になるという思考すらない方もいますから、「最近は宗教離れで」という言葉が盛んに唱えられて久しいのも無理からぬ気がします。
  ただ、そうした傾向の是非は別として、今でもお正月には皆さん初詣や七五三、はたまた厄払いに赴きますし、無宗教葬の割合も管見の限り急激に増えているような気配もありません。「いや、直葬の増加こそ宗教離れの最たるものでは」といった声も聞こえてきそうですが、完全に宗教者と宗教儀礼を排した形式は、まだ少数派ではないでしょうか。
  こんなことを考えたのは、最近の若い人々と話していると「宗教の力」というのは未だ色あせていないどころか、逆に強く求められているような思いに至ることが多いからです。学生、または社会人になりたての方々と話していると、意外に霊や魂といった話題が多いのに気づきます。しかも興味本位で話をするというわけではなく、真剣に、その存在について尋ねればあれこれと自説を話してくれる光景に出会うことが多いのです。霊や魂といった概念は、宗教という問題と全て重なるわけではありませんが、それでも宗教的な観念の土台となるものとは言えるでしょう。
  民俗学の泰斗として知られる柳田國男は、かつて「日本的な死後の観念というのは、霊がどこかに行ってしまうというよりも、それほど遠くないところに留まっていてくれるという根強い思いに基づいている」という趣旨の議論を、『先祖の話』という名著に書き記しました。もしかすると東日本大震災や先日の熊本地震の経験によって、「人が死ぬ」ということに社会全体が思いをはせるようになったことも、背景の一つにあるように思います。親しい人には、死してなお、どこかに留まって見守っていてほしい。そんな思いは、今も昔も変わらないのかもしれません。

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