第68回 葬儀とごちそう |【公式】ご葬儀のことは全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)へ

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2020.01.16
(更新:2025.03.31)
コラム

第68回 葬儀とごちそう

column

  「ごちそう」という言葉から、読者の皆さんはどのような食べものを思い浮かべるでしょうか。平成生まれならば話はまた違うでしょうが、もしも昭和の記憶が色濃く残っている世代ならば、寿司やステーキといったところを真っ先に思い浮かべた方も多いのでは。
  寿司にしてもステーキにしても、それを食べるということは、かつては今と比較にならないほど晴れがましい出来事だったような気がします。余談ですが私の生家では、すき焼きを大晦日に食べる習わしがありました。さして家計も裕福ではなかったのですが、おそらくは牛肉というものが何か特別なステータスを持つように思われていた時代の名残で、一年の終わりぐらいは少しでもぜいたくをしようということだったのかもしれません。
  しかし、そもそも外食をすることが、つまり「家の外でものを食べる」こと自体がごちそうだった時代もあったわけで、とりわけ都市から離れた地域ではその傾向が顕著でした。皆で集まってごちそうを食べるというのは紛れもなく晴れがましい「ハレの日」であり、だからこそ各種の祭事や講では非日常を演出するために、ごちそうを供したのでしょう。
  一方、ハレとケという考え方で言えば、葬儀はケに分類されることが多いようです。これは死と遺体の穢れ(「ケ」ガレ)という連想から来ていると思われますが、皆で集まってごちそうを食べるという意味では、葬儀はハレの日とも言えます。葬儀となれば地域内の女性たちが総出で什器を持ち寄っては喪家に集まり、朝から晩まで忙しく台所で料理をつくるという光景も、かつては見慣れたものでした。今と違ってファミレスやコンビニもない時代、葬儀はまさしく数少ない「ごちそうにあずかる機会」だったのです。それでは、現在はどうでしょうか。飽食の時代と言われてすでに久しい今日、葬儀の位置づけと、そのサービスの「真の豊かさ」を振り返るためにも、ぜひ考えてみてもらいたい問題です。

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